20090606

ブログアドレス移転のお知らせ

突然中国国内からの本ブログへのアクセスができなくなってしまいました。
そのため、新しくブログを開設いたしました。

URL:http://blog.livedoor.jp/chikyu_kai/

これまでどおり、ご愛顧よろしくお願いします。

なお、コメントをいただく際には面倒ですが使用する用語にご注意ください。
どうしても書きたい、だけど多分某国の感情を害する恐れがあると思われる場合には、隠語でのコメント投稿にご協力いただきますよう宜しくお願い申し上げますw

by昆明旅人

20090512

ばぁちゃんが亡くなって・・・

偶然とは言い難いぐらいの偶然。

両親を中国旅行に呼ぼうかと思い、久し振りにメールを送ったら、こんな返事が返ってきました。
「今晩8時に、(九州の五島列島の)ばぁちゃんが、心筋梗塞で亡くなりました。85歳の大往生で、明日の朝いちばんで里帰りしてきます。」

珍しく父からのメールの返信でした。

驚きました。
が、85歳という年齢のことやボケも始まっていたことあったので、意外と冷静に受け止められた自分。

友達とskypeでチャットしていたのですが、それを続けながら、そのうちになんとなく、「実家に電話して詳細を聞いてみようかなぁ」という気持ちになるまでに5分程度を要し、実家に電話すると、母がでました。

ばぁちゃんは、家の階段の踊り場で倒れていたそうです。
たぶん、足を滑らして転んだ拍子に驚いて心臓が停止してしまったような感じでした。


九州のばぁちゃんとは、ここ何年も会っていませんでした。
行くだけで丸1日以上かかるため、なかなか訪れる機会がありませんでした。

それでも、遊びに行くと、いつも「宜久君、元気ね~?ばぁちゃんの作った飯ばうまかろう?」と声をかけてくれました。
じぃちゃんが亡くなったのが5年ぐらい前だったかな、もっと前になるのかな。
じいちゃんが亡くなってからも、ばぁちゃんは元気で、お墓に出かけ、海へ出かけ、冬になると五島でとれた魚を送ってくれました。
ばぁちゃんの作った飯は、特に白飯が正直うまくなくて、食うのがつらかったけど、それでもそれを言えずに我慢して食ってた自分が懐かしいです。

なんとなく、母と電話で話しているうちに、ばぁちゃんのこと、少しずつ思い出して、涙がでてきました。
昆明という遠く離れた場所にいて、どうにもしようがない状況に置かれて、やれることといえば思いだすしかできることがない。
でもって、仮に無理して足を運んだとしても、わざわざ中国から駆け付けたと聞こえはいいものの、それ以外に自分にできることって葬儀の足手まといにないんだなぁって。


少し考えを温めていると、なんというか、近くにいたら何かできたのにという考え自体が間違っているような気がしてきました。たしかに葬儀の手伝いはできるけど、それは残された身内の作業のお手伝いであって、亡くなった故人に対して自分ができることって実は何も無くて、その人とのいろいろな思い出を思い出して気持ちの中を整理して、さよならすることだけなのかもなぁなんて、ぼんやりと考えていました。


今の僕に必要なことで、今の僕にできること。。。
ばぁちゃんさよならです。
日本に戻ったら、お盆の時にお墓参りに行きます。
たくさん遊んでくれて、心配してくれて、面倒みてくれてありがとう。
結婚のこととか心配してくれてたけど、嫁さん見せてあげられんくてごめんね。。。
優しさだけ、たくさんもらって、でもだからこそ、人にも優しくできそうです。
また会いたいです。本当に。
父さんのことは、ちゃんと面倒みるんで、心配しないでください。

いままでありがとう。
しばらくさよなら。

20090511

学校の写真

遅くなりましたが、学校の写真です。
この2週間ほど、生活に変化がなくて、各ネタがないです。
中間試験が控えていて、頭の片隅で・・・、ぐるぐると試験のことが浮かびます。

気付かないふり、気づかないふり・・・。



大学正門をとりました。
目の前を走るは121大街という道路で、抗日戦争の121事件にちなんでいます(笑




これが宿舎です。すぐ隣を建設路という道路が走っています。
夜になると、荷物を積んだトレーラーがガンガン走っているので、マジうるさいです。




こちらが宿舎の内部です。
ちょっと散らかっていますが、僕のせいではありません。
同居人のディランが、ゴミをかたずけるのが苦手なようで、脱いだもの、食べた物、散らかしっぱなしです。。。まぁ、生モノだけはちゃんと処理しているので救われますが。。。

よく行く韓国料理屋さん。ビビンバがうまくて、留学生の間で人気。
学校の構内にあります。


これは、野球をした時の写真。たぶん 僕が写真撮ってるから、僕が写ってないと思います。
そりゃそうか。
中国人、韓国人、アメリカ人などなど。
へたくそなので、恥ずかしくて。。。。。
こっそり練習して、帰国するまでには上手になろうかと。











20090505

棚田の町~元陽~ part②

part①で紹介した棚田の有名な町元陽。
次は、棚田以外の町の様子も紹介します。

省都昆明から結構離れている上に、知名度も低くアクセスも悪いので、外国人を含めた観光客は多くありません。
そのため、町は、観光地化されていない田舎町といった様子です。


街の目抜き通りです。以外ときれいでしょ。
でも、店は個人商店がほとんどです。金物屋、靴屋、かばんや、食堂、服屋などです。



民族衣装を着た少数民族が数多く歩いています。
女性は民族衣装を着ている人が多いですが、男性はほとんどいません。
理由はわかりませんが、こちらの民族衣装は色が鮮やかでとても綺麗です。

これは、棚田を見に行く途中の道で、歩いている水牛と遭遇した時の写真。
元陽では珍しくもないのですが、我々日本人には珍しいので、思わず嬉しくて追いかけた挙句に写真まで撮ってしまいました。
棚田は一つ一つの面積が小さい上に、丘状担っているので、普通の耕作機が入れません。
そのため、今でも水牛を使って耕し、人の手を使って田植えが行われます。


元陽くらいの田舎になると、野菜を作るのに農薬を使っていないようです。
しかも、化学肥料もほとんど使っていない。
土地が肥沃で雨も多く、そのため野菜がすごく新鮮でみずみずしい。
一目見て、日本で売っている野菜とはレベルが違うと感じました。
エネルギーがギュッと詰まって輝いているんですよ、ここの野菜は!!!!!!

ちょっとうまくとれませんでしたが、これが水牛を使って田んぼを耕しているところです。
田植えが始まる直前(4月下旬)と刈入れ直後(10月上旬)が、元陽の棚田が最も美しくなる時期だそうです。
田んぼに張られた水が鏡のように光り輝くのがその時期だからです。
さらに、日の出と日の入りの瞬間は、本当に美しいらしいです。
今回は残念ながらみれませんでしたが。。。
元陽は、まだ十分に開発されていない貧しい農村です。
でも、不思議とそういう町に行くと、気持ちがすっと楽になるんです。
なぜか。。。
そこでは、煩わしいことを考えずに、子供が元気に外で遊びまわっています。
鶏がそこらじゅうを走りまわっています。親鳥の周りに雛が4,5匹うろちょろしながら、地面を掘っています。
背中に赤ちゃんを背負ったお母さんをたくさん目にします。
人も動物も植物も、すべての命が、次の時代に命をつないでいる姿を目にします。
そして、その生命力はギュッと凝縮されてはちきれそうで、光輝いているように感じます。
私が見てきた日本は、物もお金もビルもあったけど、みな疲れ切った顔をしていて、人間以外の命を目にする事も少なく、道端の街路樹は汚れた空気と舗装道路に囲まれて元気がありませんでした。
もし失いつつある生命力を復活させることができたら、日本人の表情は笑顔があふれて、きっとすごく住みやすい国になるような気がします。

棚田の町~元陽~ part1

5月1日(金)から日曜日までの3連休を使って、小澤っちと遠出することに。
目的地は「元陽」、棚田が有名な街です。

=access
昆明東駅から長距離バスで8時間
料金は寝台バスが片道 約100元(1300円程度)

=民族
哈尼族(はに族)とイ族が多く住んでいる

=紹介hp
「元陽棚田撮影紀行」
http://www.anthrop.net/unnantour/kouka/gennyoutanata.htm

「元陽観光:棚田」
http://ikoku.cool.ne.jp/yunnan6/yun5.htm

【出発当日】
金曜の夕方4時半に出発。バスの出発時間の都合により、手前の町「建水」まで行って、そこでバスを乗り継ぎました。元陽への到着は深夜12時でした。

【1日目】
到着した1日目は、あいにくの深い霧。
自転車を借りて棚田の見えるスポットまで片道20キロの山道を走ったのですが、目の前50メートル先の視界が悪くてなにも見れずに終了です。。。。
写真はガッカリを通り越して、思わず万歳してしまった写真ですw
隣のちょっと禿げたおじさんは、小澤君ではありませんw(小澤君はもうひとつ前のブログ参照)
レンタル自転車屋のおじさん(本業はdvd-shop)なのですが、自転車を借りに行ったら道案内をしてくれることになりました。店は当然勝手に休業ですw





【2日目】
当初の予定では別の町(「建水」)に行く予定だったのを予定変更してさらに1日滞在しました。
「なんとか晴れてくれ~!」と願った甲斐があってか、現地2日目は見事晴れました!

元陽の見事な景色を解くとご覧ください!

呗达(baida)という場所からとった元陽の棚田の様子です。
山間のなだらかな傾斜が一面すべて棚田になっています。
田植えを前にしてたんぼに張られた水に太陽の光が反射して、まるで鏡のようになっています。
山の上からのぞくのですが、ステンドグラスのように見えます。


別のポイントから撮影したものです。
最初の写真を見て、「ほんとにこれが棚田なの!?」って思ったかた、本当に棚田なんです。
これも、道を延々と2時間ほどぶらぶら歩きながら、「おっ!」と思ったポイントで撮影。
撮影者は小澤君ですw

石林風景区

昆明からバスに揺られて約2時間。
まっすぐ東に進んだところに、「石林風景区」という場所があります。

名前の通り石が林のようにそびえたっているところで、(おそらく中国政府が巨額の資金を投じて作ったものではなくて)自然が作り出した造形美です。

今は国立公園になっているので、公園は整備され、参観ルートができています。
もともとイ族が多く住んでいた地域のようで、公園内はイ族のガイド、物売りなどがたくさんいます。

行くまでは意外と楽しみだったのですが、行ってみた感想はというと・・・
がっかり名所の条件がそろっていて、いまいちだなぁ~というのが本音です。
<がっかり名所>
・すごいと感じるのは最初の15分まで。あとは同じ風景。
・門票(入場券)が物価に比較して異常に高いってか高すぎる!!!(140元=2000円超!)
・それしかない

ガイドブックに載っているので、多くの留学生が行く場所なのですが、感想は誰も同じですw
まぁとりあえず、写真をみてください。

一緒に行ったこちらの友達。
左から、ダンちゃん、シュワイ君、松本、小澤君です。
シュワイ君と女の子はどちらも日本語専攻で、ダンちゃんは小澤君の、シュワイ君は松本の相互学習の相方です。相互学習というのは、留学生とこちらの学生ないし先生が、お互いに言葉を教えあう学習方法をいいます。

あまり迫力のある写真ではないけど、「石林」と刻まれているので載せました。。。。


展望台が2か所ぐらいあって、その一つに登って撮影した写真。
これはなかなか迫力ありますね。
小さな展望台に中国人観光客がわらわらいるので、あわただしく撮影した写真です。

イ族の民族舞踊ですかね。。。練習だったのか、ちょっとやっては止めてやり直してはの繰り返しで、少し見てたのですが飽きてしまってみるのをやめました。

20090430

武術学校の紹介

中国にきたら絶対にやろうと思っていた太極拳。
ここ昆明は、想定していた以上に武術が盛んでない土地で、武術を教えてくれる人を探すのに1ヶ月半の日数を要しました。
そして見つけた先生は、技術レベルも高く、性格も温厚で丁寧に教えてくれるいい先生でした。
太極拳と八卦掌を教えていただいている温先生です。
中国国内の大会でも多数の賞を獲得していて、今時点での実力は雲南省では間違いなく一番だよ、と学校の武術の先生に教えてもらいました。
本当は、ピースとかしてるごく普通の写真を撮りたかったのだけど、ここは中国人。
写真をブログに掲載したいと申し出たら「いいのがある」と自分の自慢のポーズの画像を送ってくれました(笑)
きれいな彼女もよく来ているので、一緒に写ってる写真を掲載したかったのになぁ。。。。

これが武術学校の外観です。真中に「尚武」と書いてあるのが学校です。
僕が始めてお邪魔した時は、開校わずか5日目でした。
ひょっとして騙されちゃったかなぁと心配になりましたがまったくの杞憂でした。


こちらが武術学校内部の写真です。
新しいだけにピカピカです。ただ、ネズミが出るらしく、「武」の垂れ幕の下に実はネズミにかじられた穴が開いています。
先生は、そのネズミを退治するために猫を飼うと言っているのですが、本当に効果あるのかはなはだ疑問です。。。
中国の猫はほんとにネズミを捕まえてくるのだろうか。。。

20090427

南京大虐殺という亡霊

先のブログを書くにあたって、初めて南京大虐殺というものがどの程度の規模のものだったのか知りたいと思い、ネット検索をしてみた。

すると、完全に意表を突かれた結果が飛び出した。検索結果の上位10数件がすべて「南京大虐殺はなかった」という内容のものだったからだ。

最初は、よくある愛国主義家の暴走で内容もでたらめなものだろうと思い、見るのをよそうかとも思ったのだが、なんとなく気になったので目を通して見る。

すると、彼らの主張の要点は次の2点であり、さらに、学会の中でも非常に大勢力になっているということだった。
・目撃者がだれ一人いない
・あったことを示す証拠資料が一切出てこない

当時の首都、南京には日本人のみならず多数の外国人報道員が駐在しており、本国と連絡を取り合っていた。敗戦後帰国した彼ら駐在員のすべてが「寝耳に水」の状態で、なんのことやらてんでわからないとコメントしている記録が残っているらしい。 中国側の主張する30万人の被害者というのは当時の南京の全人口に匹敵する(超えているとも言われている。。。)人数である。目撃者がいないはずがない。

実に不思議である。

事実は一つ(起きたか起きていないのか)なのだから、誰かが嘘をついているとしか考えられない。

この60年あまり、日本人と中国人に亡霊のように付きまとった「南京大虐殺」が、もしそれがまったく根拠のない「火のない所に起った煙」であり、もしくは「意図的に起こされた火」であるとしたら、それはあまりにもばかばかしい話である。


昨晩は俊さんの家で夕食を一緒に食べた。
その時、映画「南京!南京!」の話題を出してみた。
すると、彼からすごい事を聞いてしまった。
「少し前に、中国国内で配布された映画雑誌の中で、映画に出演した日本人俳優へのインタビュー記事が載ってたんだよ。彼がその中で、『昔、祖父に“人生で一番楽しかった事は何?”と聞いたら“中国で人を殺しまくったことだ”って言っていました』というコメントがあったんだ。」
それを聞いて、そんなバカな話はないだろうと思った。
意図的な誤訳か、それともインタビューそのものがねつ造されたか。

そして、なぜそこまで日本人を「鬼子」にし続けようとするのか、理解に苦しんだ。

20090426

中国建国60周年を迎えて

中国は今年建国60周年を迎えるようです。
そのため、ナショナリズムを高める活動が各地で行われるようです。

ナショナリズムを高めるといえば、やはり日中戦争は避けて通れません。。。

厄介なことに、南京大虐殺記念館の新館がオープンし、映画館には巨大な垂れ幕で南京大虐殺の映画のPRがされています。
タイトルは「南京!南京!」

4人以上の中国人が集まると(留学生と交流のある人を除く)、大体1人は南京大虐殺のことを知っているかと聞かれます。ある程度学のある人は、そういう話は控えたり、養護してくれたりはしているようですが、それでも本音のところはわかりません。彼らは生まれてから今までずっと、日中戦争での悲劇をメディアを通じて見続けているのですから。

戦争映画や戦争もののテレビドラマは、いたるところで頻繁に目にします。
その中では、「日本人=侵略者&殺戮者」、「中国人=善良&犠牲者」という構図で完全に完結されていて、もうどうにもフォローのしようがありません。

さらに、ウェブを見ていたら、今年から中国政府は少数民族による独立運動を阻止するために、教育の中で「民族団結」「非独立」のプログラムをかなり充実させるようです。
中国政府は、教育が国民の意識に与える影響の強さをかなり理解している上に、かなり強硬的にその教育を推し進めます。

公平な目線で戦争を評価したならば、日本は原爆で数十万人の命を失い、文化大革命では毛沢東が中国国民をこれも数十万人単位で殺害したといわれています。(正確な数字は知りませんが)。その後も米露主導で引き起こされた朝鮮の戦争やベトナムで起こった戦争による被害もはかり知れませんが、そうしたことは彼らは知らされているのでしょうか。
戦争終結後、日本が軍隊の保有を禁止し、非核三原則を打ち立てたことや、世界でも有数の巨額の支援を中国に行ってきたこと、何度となく公式な謝罪を繰り返してきたことを知らされているのでしょうか。おそらく、彼らの様子を見ている限り、知らされていない事実だと思います。

戦争を過去のものにして、建設的に未来を創っていこうという国際的な動きの中で、ここ中国では、こと戦争と民意に限った話としては、完全に時間が止まってしまっているような印象を受けます。
これは私が中国で2か月弱滞在して感じた正直な感想です。

ナショナリズムの高まるであろうこの1年、あまりおかしな事件が起こらなければいいなぁと思います。

20090418

映画 「おくりびと」

映画「おくりびと」のDVDを買いました。

期待以上の素晴らしい出来栄えで、とてもよい時間を過ごすことができたと思います。

音楽は久石譲
チェロアンサンブルのバックミュージックがとても自然で、それでいて自分の存在をきっちりと主張しているにもかかわらず、映画の雰囲気と完全に一体化していたのに感動しました。


2008年に、まだ日本にいたころ、小乗仏教の本をたくさん読みました。
それによって、自分の中で死生観(=人生観)が大きく変わりました。

すべての人はやがて死ぬという現実と真正面から対峙したことが、僕の価値観を大きく変えるきっかけになりました。

世の中が正しいと認めたことをすることが、自分を幸せにするわけではない。
自分が正しいと認めたことを、満足いくまですることが、自分を幸せにすると今は思います。


「おくりびと」を見た感想を、二つの側面からコメントしてみます。

●観念が引き起こす差別的感情
本木正弘演じる小林大吾は、友人からも妻からも、「そんな仕事辞めてくれ」と言われます。
見知らぬ人にも「あんな仕事でもして罪を償え」と間接的に侮蔑されます。
「死」=「穢」という、日本に特有の思想と心理的拒絶を、うまく表現していると思います。
しかし、その後、妻も友人も、昔馴染みの銭湯のおばちゃんの死とそれに携わる大吾の姿をきっかけに納棺師という職業を受容することになります。
このことは、どう説明がつくのか。

「こんな仕事」と侮蔑している時、彼らは「死」を観念上の存在としてしか捉えていません。
観念の世界では、死=穢れであり、納棺師=地位の低い仕事なのでしょう。
しかし、銭湯のおばちゃんの納棺を済ませた時、彼らは死と納棺の仕事を観念上ではなく現実の問題として捉えています。
彼らは、そこではじめて、納棺師という仕事を等身大で評価することができたのです。

すこし私の話をします。
私の母方のいとこのお兄ちゃんの子供が、奇形かつ未熟児で生まれました(もうなくなっています)。
私は、母親に言いました。
「その子と一度会ってみたいなぁ」
でも、母親はそれを許しませんでした。
不謹慎な事だと思ってのことだと思います。
彼女の本心はわかりませんが、「おおっぴらにできない話題」だったのではないでしょうか。

でも、私の心情はそうではありませんでした。
母の話を聞いていて、彼の命が長くはないことも、外見が受け入れがたいこともわかりました。
それもわかった上で、だからこそ、今あっておかないと彼には二度と会えないことが、とても残念に思えました。彼と私の違いは、生きる時間が長いか短いか、ただそれだけなのですから。
だからこそ、生きているうちに、「初めまして、ようこそ。短い時間だけど、楽しんでいってね。」と言っておきたかった。

いとこ夫婦も、その子を移動保育器にいれていろんなところへ連れていったそうです。
「せっかく生まれてきたのだから、生きているうちにたくさんのことを経験させてあげたい」
そんな理由だそうで、私の感覚と比較的近いと思っています。

母の「不謹慎である」という感覚は、「死」=「穢れ}と同じで観念的な問題です。
目の前の現実を直視した時、そこにはただ一つの命があり、または遺体があるだけです。そこに穢れや不謹慎といった感覚を感じるのは、理解できなくはないものの、正しい判断ではないと思います。


●儀式が引き起こす心の満足
映画の中では、納棺師は、時間をかけて丁寧に、遺体の納棺準備を進めます。
それは、まさに儀式と呼ぶにふさわしく、手順が決められ作法があり、一つ一つ確実に仕上げていっています。

しかし、ここで考えてほしいことがあります。
最終目的は、衣装を着替えさせて化粧を仕上げ、棺に入れることです。
まどろっこしい手順などせず、個室で身内の同性がちゃっちゃと着替えさせれば済むことです。
それこそ、どうせ燃やしてしまうのだから、そのまま棺にいれてもいいじゃないかとも思う人もいるかもしれません。
それなのになぜ、このように作法に沿って時間をかけて、納棺の準備をするのでしょうか。

このことについて、私は次のように感じました。

「心の満足を引き起こす作法」
洗練された動作を見たことはあるでしょうか。
日本には、書道、茶道、華道をはじめとするさまざまな所作法があります。
そのどれもがそうですが、本当に評価されている所作法は、動作に無駄がなく、美しささえあります。
必要十分な道具を用いて、手順にしたがって動作を進めると、動作をおこなっている側はもちろん、見ている側も、不思議な満足感に包まれます。
気持ちがゆったりと落ち着いて、あわただしかった心が安らかになっていくのを感じることができます。

納棺の作法も、それと同じことではないでしょうか。
洗練された作法に従って、ゆっくりと、それでいて丁寧に作業を進めることで、そこに居合わせた人々は、気づいたらその動作の優雅さに引き込まれ、あわただしかった感情が平静を取り戻していく。
作法が進むにつれて心が整理され、別れに向けた準備が進んでいく。
すべての所作が終了すると、「終わった」満足感がこころを満たし、故人を送り出す心の準備が整う。
そしていよいよお別れとなる。

世界のどの国に行っても、その国にあった儀式があり、それが古代から継続して行われているのは、こうした「心の満足」を引き起こすためではないでしょうか。

私の親も年老いてきました。
遅かれ早かれ、今生の別れをする日が来ます。
その時に、どんな形で心の満足を得て気持ち良くお別れするか、少し考えを温めておきたいと思います。

20090417

家賃返還騒動

いよいよ生活が落ち着いてきたこともあり、寮をでて一人暮らしをしようと思うようになりました。

え?中国で一人暮らしなんて、大変じゃないの?と思う方もいるかも知れませんが、こちらは外国人でもアパートの賃借は比較的簡単。passportさえあればOKです。
それでいて寮よりも家賃が安く(約半額)、部屋も家具つきで2部屋あって広くて綺麗なので、留学生は大体外に住んでいます。


そこで、学校の留学生事務室に行って、未経過分の家賃を返してほしいと言ってきました。
1日50元×300日=15,000元(20万円弱ですね)のうち、まだ経過してない残り250日分ですね。


すると、事務室の先生曰く
「全額の返金には応じられない。ペナルティで1割差し引いた90%なら返金する。」
と言ってきました。

うっ、きた・・・。トラブルの予感。

「なぜペナルティを払わなければならないのですか?」と聞きました。
するとこの先生、すごい剣幕でわーーーっと怒ったようにしゃべりだしました。
どうみても友好的ではない態度。内容がこちらにとっていい話であるはずがない。
へらへらすると足元を見られると思い、こちらもしかめっ面しながら聞いていたわけですが、全く理解できていない・・・笑)わけです。

するといよいよ、「あんたじゃ話にならん。言葉が通じる人連れて出直してこい」みたいなことを言われ鉛筆を机に投げ捨てたので、こちらも売り言葉に買い言葉「じゃぁ中国語の話せる友達連れて出直してやる(怒)」と言って事務室を飛び出してきました。


そんないきさつを経て、何度か登場している日本人の俊兄さんに相談し、彼といっしょに事務室へ再度訪問しました。


向こうの言い分はこうでした。
・本来返金には応じない方針である
・長期滞在だから、特別に返金に応じてあげる(完全に上からの物言いです)
・エージェントがマージンを抜いているため、額面全額の返金には応じられない(学校が損をする)
・それ以外に日本からの送金手数料等もかかっている
だから、そんなこんなで10%(数字に根拠はなくなんとなく適当に決めた:笑)分の返金には応じられない。


俊兄さんは大人です。
「事情はよくわかったけど、10%ではいくらなんでも高すぎるから、もう少し下げてくれ」
とお願いして、とりあえず火を鎮火させてくれました。
学校側も、日本のエージェントに再確認した上でまた連絡するといっていました。


一見するとそれなら仕方ないかな納得してしまいそうな理由が書き連ねてありますね。
ですが、よくよく考えるとやっぱりいろんなことがおかしいわけです。
・返金に応じない学校方針は別にかまわないけど、それなら契約の時点でそれを伝えるべきでしょ。契約書にも入学案内にもどこにも書いてない。
・僕は学校のパンフレットに記載された正式な料金で返金を要求するのは当然でしょ。
・エージェントへマージンを払っているとかは、そちらの事情であって僕の知った事ではありません。エージェントとマージンの額を交渉して勝手に解決してください。
・エージェントは、「私たちは、あくまで”仲介”で、入学・入寮の契約はあなたと学校の間で直接行っていますよ」と申しておりました。(だから、別途高い”仲介料”を払っているのですよ、私は)
・送金手数料は、学校運営に必要な「経費」でしょ。そんなの僕がこれまでに払った家賃の中でやりくりして頂戴よ。

とまぁそんなところでしょうか。


10%のペナルティ(?)に全く根拠がなかったわけではないけど、それは全部学校側の勝手な都合ばかり。
「どれもこれも僕には関係のない話ばかりじゃないか!!」と、俊兄さんに憤慨してしまいました(ほんとスイマセン・・・to俊兄さん)

あぁ、やっぱりここは中国なんだなぁと、久し振りに痛感しました。
とにかく自分だけは損をしたくないというのが見え見えで、誰彼かまわず無差別に請求してくるのが、かなり嫌~な気持ちになりました。


第3戦はいつになるのか。
事務室からの電話がかかってきたらと思うと、安心して眠れません(ということはないです)


俊兄さん、Special Thanksですm(_ _)m (たぶん見てないと思うけど・・・)

20090407

大理旅行に行ってきました!

この週末は3連休だったので、気分転換がてら、大理へ足を延ばしてみました。
昆明からバスで5時間、その昔、大理国の首都があった場所です。
「大理古城」と呼ばれるとおり、大理の街は当時の城内街です。
外敵の侵入を防ぐため、城壁の中に町ができています。
大理古城の中心にそびえたつ天守閣(?)です。
標高が高いからか、天気はころころ変わります。
この写真を撮ったときは、ちょうど雲が晴れて、きれいな空になりました。


この、分厚い城壁をくぐった中に街があります。
街は結構大きく、南門から北門まで歩くと大体30分ちょっとかかります。



これが目抜き通りの復興路です。オフシーズンなので少し人が少なめですが、それでも結構たくさんの中国人と欧米人がいました。


大理は中国でも有数の観光地で、外国人観光客が多いです。景観がきれいで、空気も澄んでいて、過ごしやすいので、いすわる外国人も多いようです。

写真は、「洋人街」沿いのカフェです。外国人旅行者や定住者の影響を受けて、アジアンテイストでおしゃれなカフェが非常にたくさんあります。

店内より店外の方が気持ちいいので、外にソファーがおいてあって、風や日にあたりながら、ご飯を食べたりコーヒー飲んだりできます。





これは、大理国の特産品です。
名前は忘れたのですが、色使いが鮮やかで、デザイン画のようなおしゃれなファブリックです。
大きさは、縦50センチ、横40センチぐらい。値段は1枚300円程度と激安です!

気に入ったので、右側の魚のやつを買って帰りました。


大理は、観光地化されているといわれていたので、もっとガッカリな場所をイメージしていたのですが、すごく洗練されていたのに驚きました。
また、時間を見つけて足を延ばしてみようと思います。

20090401

屁こき病にかかった!

こんな病気があるとは知りませんでした。

屁こき病にかかりました。

正式には「呑気症」というそうです。
症状は
・頭痛
・めまい
・呼吸困難
・腹痛
・胸やけ
・屁がめちゃめちゃでる

です。

原因はストレスだそうです。

http://www.medical-tribune.co.jp/kenkou/200407091.html


日本人の俊君にsosの電話を入れて、1日気分転換に付き合ってもらいました。
この俊君という人はかなりいい人で、言葉の拙い僕に、なにかと手を差し伸べてくれます。
面倒見がいいからか、人気者で、いろんな国の人とお友達です。

2年留学して、9月からは昆明大学で日本語の先生をするそうです。
最近は、タイ人の女の子と仲良くなりたいからと言って、タイ語を真面目に勉強し初めているようです(笑

20090329

翠湖(ツイフ)の写真











昆明の有名な景勝地の公園です。
滋賀県みたいな感じで、敷地の80%が湖です。
東西と南北に道が通っていて、両者が交わる中心部に湖心亭がたっています。
翠湖の「翠」は、水が翠、木が翠の二つを取って名付けられたそうです。
水は本当に真緑です。
汚れているのかと思いきや、そうではないようで、一昔前までは飲用水としても使われていたとか。
たまに早起きした時は、ランニングがてら太極拳を教えてもらいに行っています。

20090328

洗礼

お約束の食中毒にかかりました。

知り合いの中国人3人と一緒に、火鍋を食べに行ったのですが、、、

帰ってから高熱と腹痛と吐き気に見舞われました。

きれいな店だったんですけどねぇ。
まだ火が十分に通らないうちに肉を食べちゃった様子。

中国では、まだ冷蔵庫を使う習慣が普及してないようです。
市場に行っても軒先に野ざらしで肉や魚がおいてあります。

だから、料理は必ず火を通して食べないと危ないようです。。。

20090326

語学学習は分解するとわかりやすい!?

外国語の学習を、おそらく人生で初めてまともにしているのですが、いろいろな発見があって面白いです。
今の自分の状態を表現すると、こんな感じです。
「テキストの意味はわかる、でも書けないし、声に出して読むのは無理。先生の話している言葉の意味は、なんとなく理解できるけど、自分の感情を表現するのはほとんどできない」
なんとなく苦しくなって、気持ちがなえる、、、、たぶん、真面目に語学学習を始めると、だいたいみんなぶつかる壁だと思います。

で、じゃあ、この壁を乗り越えるには、どうしたらいいか。

突破口を探すために、まず考えてみたいのは、「言葉を使いこなす」上で必要なスキルが何かを理解して見ることです。

「言葉を使いこなしている状態」を分解してみましょう。
・聞ける
・話せる
・読める
・書ける

これ以外にはないはずです。

この4つを、自分を中心にして分類しなおすと、こうなります。
Input(入力):聞ける、読める
Output(出力):話せる、書ける

4つのスキルは、お互いに影響しあうものの、完全には一致しないのが面白いところです。
たとえば・・・
・(聞ける but 話せない)言ってることはわかるんだけど、自分の感情を表現することができない
・(話せる but 読めない)会話は普通にできるのに、文字が読めない(欧米人は大体そうです)

だから、言葉を使いこなせる状態というのは、この、4つのスキルをそれぞれバランスよく高めてやる必要があるんだなぁと言うことがわかります。

自分に関しては、Inputの力は、耳も目もどちらも慣れてきました。
でも、Outputスキルに関しては圧倒的にトレーニング不足です。

もちろん、、Outputするためには、単語や言い回しといった良質なInputが不可欠なので、Inputのトレーニングはこれからも継続しながら、Outputトレーニングの頻度を増やしていけば、踊り場が脱出できるかな、と、まぁこんなことが言えます。

そして次は、じゃぁOutputのトレーニングはどうやって行うか、これを考えないといけません。
これが次の課題です。

20090324

中国人に間違えられて

トイレに行こうと思ったら、留学生楼の入口で止められました。

教官A:「どこに行くんだ?(怒)」(你去哪儿了?)
自 分:「えっ、上の階に行くんだけど・・・(ムカッ)」(走去上楼)
教官A:「なにしに行くんだと聞いてるんだ(怒×2)(為什么去上楼!)
自 分:「トイレに行きたいんだよ!」(我要去厕所)
教官A:「すぐに出て行け!」(走去外面!)
自 分:「えっ、何で???」(はぁ????)

その時、教官Bが現われた。
教官Bは穏やかに尋ねた。
教官B「あなたは何人ですか?」
自分「日本人ですけど・・・」

・・・救われました・・・

何が悪かったのか。。。
ジャージ?サンダル?いや、きっと顔だ。

20090322

友達少しずつ増加中・・・

少しずつ、友達、知人が増加中です。

今日は、啊俊さん(日本人)、後藤さん(同日本人)、ファンファンちゃん(中国人)、Maryちゃん(アメリカ人)、それ以外にインドネシア人3名と、名前不詳の中国人2名の10人で、食卓囲んで夕食食べてきました。

いろんな国から来た人が、みんな中国語で話をするって、なんかすごい新鮮でした。
早く話に交じれるようになりたいなぁなんて思ったりして。

ちなみに、夕食の前には、さらに多い人数でバドミントンをしてました。
スペイン人、タイ人などが加わって、合計で15人くらいかな。

また、ブログで紹介できればと思っております!

20090320

生活の中での困ったこと

生活していて不便なことが3つ。

①寮が幹線道路に面しているので、夜通しトラックの音がすごいうるさい
②温水シャワーが使える時間が夜8時~12時までの時間限定・・・
③電圧が弱いみたいで、いっこうに充電がされません・・・

とりあえず、トラックの音がひどいので、耳栓を探しに行ってくることにします。
ボディブローのように効いてきて、今は完全に睡眠不足です・・・。

20090319

「富有人」と「贫穷人」

今日の授業のテーマでした。

「富有人」(=豊かな人)と「贫穷人」(=貧しい人)の中国語の意味についてです。

中国のテキストを見ると、題目(テーマ)は大きく分けて2つに分けられます。
ひとつは経済の話、もうひとつは道徳の話です。
でも、道徳の話には、大体経済の話が絡んできます。
ようは、豊かであるとは何かを考えさせる話が多いです。

今回も、まさにその経済がらみの道徳の話でした。

富有人:金持ち(有銭)
贫穷人:貧乏人(没有銭)

現代での言葉の使い方はおおむこれで正しいみたいです。

でも、元々の意味はそうではないそうです。

富有人:他人に関心を寄せる人、他人に何か与えることができる人
贫穷人:他人に関心をよせない人、他人に何かを与えることができない人

テキストでは、お金のない女の子が、学校の先生に皮鞋(皮靴)の絵を描いてあげたという話。
学校の先生が自分と同じ布鞋(布靴)をはいていたのを見て、先生も貧乏なんだと思い、教師の日に皮靴の絵を書いてあげました。
少女曰く、「私のうちは貧乏なの。先生もそうでしょ?」
先生曰く、「あなたは人にものを与えることができる人なのだから、贫穷人ではないですよ。」

とまぁこんな締めくくりでした。

中国人は、食事に行くと絶対に割り勘にはしません。
「今日は俺が出すから、次はお前が出せよ」、的な感じで、生活の中で恩のやり取りが行われます。

さらに、朋友(=親友)に対しては、見返りなしでご飯をおごり、困っていれば力を貸してくれます。
「富人は人にものを与えることができる人」、他人に分け与えることが美徳とされ評価されてきたからでしょうね。

小さな恩の積み重ねが、中国人同士の強い絆の源泉かも知れません。

現代の日本人は割り勘が普通です。
貸し借りなしで平等だといえば、まぁ確かにそうかもしれませんが、恩のやり取りという点でとらえると、いささか他人行儀で少しさびしい気もします。

早速ながら、私もバーで知り合った中国人に100元(1500円相当)全額おごってもらってしまいました。
経済格差がこれだけあるのに・・・、なんともお恥ずかしい(汗

20090317

奥林匹克(オリンピック)効果継続中!

大学前の道を歩いていると、やたらめったら目につく特定のジャンルの店がある。
あれ?なんか、さっきから同じもの売ってないか??

さて、なんでしょ?

そう、スポーツショップです~。
気づいてみるとスポーツショップがめちゃめちゃ多い。

大学の正門の前に「一二一大街(yi-er-yi-dajie)」という大きな道があります。
その通り沿い500m程度の範囲内に何件のスポーツショップがあるか、ちょっと数えてみることにしました。

【結果】
スポーツショップ       15件
スポーツショップ以外の店 45件 ※小吃店、小売店、眼鏡屋など
ショップ合計         60件


なんと、3件に1件はスポーツショップという結果になりました。
オリンピックの影響はすさまじかったんでしょうね!
中国は、金メダルもめちゃくちゃとりましたもんね!
ちなみに、次に多かったのはメガネ&コンタクトレンズ屋だったのも、世相を反映していて面白かったです。

ちなみに・・・
学校の運動場は、朝8時から満員御礼。狭いコートでひしめき合ってバスケ(籠球:lanqiu)してます(笑)
市内中心部の百貨店は、4階まで全部スポーツショップになっていました(笑)
(※案内板にはレストラン(餐亭:canting)やアウトドアって書いてあったのにそんなものないし・・・)

20090316

中国語の学習カリキュラム

これまでは、「ちょいと話」が多かったですが、私はどちらかというと真面目な話が好きです。
今回は、語学の学習カリキュラムの日中比較を比較してみます。


自分が所属しているのは、雲南師範大学の語言文化学院で、留学生向けに中国語の講座を開講しています。
同学(tongxue:クラスメート)には、美国(アメリカ)、独国(ドイツ)、泰国(タイ)、韓国がいます。
日本人は自分だけ、最大勢力は泰国vs韓国のどちらかですね。

レベル別レッスン
クラスは、留学生の能力によって次の4つに分けられます。


  1. 入門班
  2. 初級班
  3. 中級班
  4. 上級班
私は、ちょっと背伸びをして、中級班に入りました。
試験等はなく、事務員にテキストを渡されて、「読める?」「はい」で決定しました(笑)

4つのカリキュラム
各班では、さらに4種類の学習のカリキュラムが組まれています。



  1. 総合学習 (週3回)
  2. 口語(スピーキング) (週2回)
  3. 听力(リスニング) (週2回)
  4. 閲読(リーディング) (週2回)

日本と中国の学習方法の比較
私が学生だった約10年前、日本での英語の学習カリキュラムは次の2つでした。

【日本の学習カリキュラムの特徴】
「grammer:文法」
「reader:読解」

話すことより「読み解く」ことに主眼を置いたカリキュラムでした。
「読み」「書き」「算盤」学習の名残でしょうか。

他方で、中国での学習カリキュラムは総合力の育成に力を入れています。
総合力は次の2つの力から成り立ちます。

【中国の学習カリキュラムの特徴】
理解する力:「見てわかる」「聞いてわかる」
伝える力:「書いて伝える」「話して伝える」

外国人との対面でのコミュニケーションを意識した学習プログラムだなぁと思います。

時代要請と学習カリキュラム
日本が「読み書き」を中心に学習をしていた時代は、今やもう昔の話で、時代が要求するスキルは変わりました。
交通網の発達で、外国が身近な存在になり、人の往来が激しくなりました。
これからの時代、読み書き中心の学習はもはや時代遅れ、これからは本当の意味での「使える語学」の習得が要求されていると思います。
英語はいまや全世界の標準語であって、コミュニケーションツールです。
中国の大学教員も大学生も、英語の学習に非常に力を入れています。

日本でも、先日、授業をすべて英語で行うという改正提案に対して強い反対が起きました。
英語でやっても日本語でやっても、それ自体は方法論の違いなので構わないわけですが、ただ、もし現在の学習カリキュラムが依然として読み書き中心で行われているなら、これは早急に見直すべきと思います。

20090314

昆明で食べた料理








到着して1週間がたちました。

身の回りの物も片付いて、手続きも終わったので、かなり時間に余裕が出てきた感じです。


とりあえず、今回は、この一週間で食べた様々な料理を書き出してみたいと思います。


雑糧煎餅(zaliang-jiangbin)
トウモロコシ粉を溶かした汁を薄く延ばして、クレープの生地のように焼きます。
そこに、トウガラシを絡めた味噌やら細かく切った野菜やらを塗って、くるくるっと巻いて食べます。
ぱっと見はクレープですが、食べるとお好み焼きのような味で、結構うまいです。

新疆風味串焼(xinjiang-fengwei-chuankao)
ただの串焼きですが、味付けに大量の胡椒と唐辛子を使うので、辛いですが、美味です。
新疆だけあって、素材には牛肉、ヤギの肉などが使われます。豆腐とか土豆(ジャガイモ)なんかもあります。

米線(mixian)
雲南の特色料理といえば、米線(ミーシェン)です。お米で作られたラーメンです。
ちなみに、ラーメンというと、日本人は「拉麺」と書きますが、こちらでは「拉(伸ばす)」+「面(穀物で作った生地)」で「拉面」と書きます。あんまりうまくないっす。
米はそのままで食べるのが一番だということがわかりました。

越南小巻粉(yuenan-shaojuanfen)
越南(ベトナム)の料理です。山芋(?)粉を溶かした汁を薄く延ばして焼いて、生地を作ります。そこに唐辛子のペーストやら、ラー油、しょうゆ、根菜きざみなんかを並べて、くるくるっと棒状に巻きます。
モチモチした食感で、かなりうまかったです。

西安肉挟餅(xian-roujia-bing)
平ぺったくして焼いた包子(餅(bing)と言います)を真中で割って、間に肉の油炒めを挟んだ(挟)ハンバーガーのような食べ物です。
これも、手軽に美味しく食べられる、お勧めの一品です

板札小毛驢(banza-shaomaolu)
小さいロバ(小毛驢)肉のトウガラシ&油炒めです。
ロバ肉を食べたのは(意識してですが)初めてですが、かなり味は濃厚です。
口の中で主張しまくりです。最初はうまいですが、だんだんくどくなります。
それでもって、値段がかなり高いです。
最初に聞いときゃよかった(汗

土豆片(tudu-ping)
ジャガイモ(土豆)の片(かけら)という言葉からわかるでしょうか。
ポテトチップスのことです。
言葉の勉強のために、わざと「これ何?」って聞いては従業員を困らせていますw

干巴皮蛋"火会"飯(gangba-pitan-fuifan)
干し肉(干巴)とピータン(卵の燻製?)とを炒めてあんかけ(火会飯)に絡めてごはんにかけて食べる、あんかけごはんです。
小姐(女性スタッフのことね)に、「干巴って何?」って聞いたら、「え?干巴って、え?干巴って、、、何?なんだろう?え?」ってすごく困ってました(笑)
たぶん、そんなこと聞かれたことがなかったんでしょうね(笑)
他にもまだまだありますが、書き出すとキリがないのでとりあえずこの辺で。
おいしい料理のストックがたまったら、そのうち第2弾をアップすることにします。

それではまたお会いしましょう。
再見!

20090311

昆明にやってきました!

2009年3月7日
ついに昆明にやってきました。

31歳にして語学留学。

周りも親も心配させながらの出発でした。


昆明の場所が分からない方はこちら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%86%E6%98%8E%E5%B8%82
※ごめんなさい、いい地図が見つからなかった・・・。


出発前に、一番多く聞かれた質問がこれ。

「なぜ昆明なのだ?」

「・・・・・・」

率直に聞かれるのが一番答えに困る。
なぜって、行ってみたいからとしか言いようがないから。


「それじゃぁなぜ行ってみたいと思うのさ?」
と言い返されてしまいます。

なので、昆明の魅力を少し書いてみたいと思います。

・「春城」の異名を持つ春のような気候
昆明は、台湾と同じぐらいの緯度にありながら、標高1890mの場所にあります。
そのため、年間を通じて気温の変化が小さく、暖かい春のような気候です。
到着した3月上旬でさえ、初夏のような気温が続き、昼夜でエアコンなしで快適に過ごせます。

・少数民族の多い土地
中国には漢民族と、それ以外に55の少数民族とが共存している国ですが、
その中でも昆明のある雲南省や隣の貴州省は、少数民族の数が多いことで有名です。
さまざまな民族の文化が融合しており、上海や北京とは違った風情が味わえます。

・東南アジア諸国と隣接
雲南省は、西に行けばチベットやミャンマー、南にいけばベトナムやチベットと隣接しています。
あいた時間で小旅行すると、非常に多くの民族、文化と接することが可能です。
また、東南アジア全域が暖かいので、暖かい地域が好きな人にはいい場所です。
住んでる人も、東南アジア顔の人が多いので、そういう人が好きな人にはマジお勧め(笑)

・少し辛いけど濃厚な料理
アジア諸国の影響を強く受けて、唐辛子を中心にした辛めで濃い味付けが料理の特色です。
北方の中華とは違って、味が濃くてはっきりしているので、エスニックな味付けの好きな人にはたまらない場所です。
私も到着してからずっとエスニックばかりですが、全く飽きることをしりません。

こんな感じで、昆明は衣・食・住のうち、住環境がきわめてすぐれた町です。
そして、食文化も、辛い物が好きな人ならもってこいの環境です。
さらに到着して驚いたのですが、街自体はすごく発展していて、生活に不自由は全くありません。

元気いっぱいのアジアの小国といった感じです。


さて、簡単ですが昆明を紹介させてもらいました。



私はこの昆明という町で、2010年初旬まで滞在します。
これからも、ブログを通じて、自由に、自遊に、私の考えをブログにアップしてみたいと思います。